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17. 藤原氏の天皇家との血縁と他氏排斥

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(1). 藤原氏北家繁栄の第一歩

    藤原冬嗣が薬子の変(くすこのへん)で、嵯峨天皇の信頼を得て、蔵人頭(くろうどのとう)に就任         したのに始まる。

     藤原氏北家の系図.pdf

(2). 天皇家との血縁

    冬嗣の子・良房は嵯峨天皇の皇女を妻とし、妹の順子(じゅんし)を仁明天皇の女御として権力を         掌握した。 また、順子と仁明天皇との間に道康親王が生まれると、文徳天皇として外戚となった。        以後も藤原北家は天皇家との血縁を結び更に権力を強固にした。

(3). 他氏排斥

    天皇家と血縁を結ぶ一方、政敵を次々と陥れ、その地位を盤石にした。                        以下は藤原北家の他氏排斥の歴史。

    ①. 842年 承和の変  嵯峨上皇がなくなると、謀反を企てたとして、伴健岑を隠岐へ、橘逸勢                         を伊豆への流罪とした。

    ②. 866年 応天門の変  平安京応天門が炎上した事件で、伴氏、紀氏を排斥、事件後に清和                         天皇の摂政になった。

    ③. 888年 阿衡の紛議  宇多天皇と橘広相の娘の間には2人の皇子がいた。 宇多天皇が即位                       する際、広相起草の詔勅の文言に藤原基経がクレームをつけ、基経は                        自分の娘を入内させることに成功した。

    ④. 901年 昌泰の変  宇多天皇、醍醐天皇の信任が厚く右大臣にまで昇進した菅原道真は、                        藤原時平の讒言によって九州・太宰府に左遷された。

    ⑤. 969年 安和の変  源高明の娘婿・為平親王は冷泉天皇の有力な皇太子候補だった。                           藤原実頼は讒言により源高明を失脚させた。

(4). 藤原良房、摂政になる

    藤原良房は、自分の娘・明子を文徳天皇の女御に送り込み、その間に生まれた惟仁親王を9歳で        清和天皇として即位させ、866年皇族以外ではじめて摂政になった。

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