12. 遣隋使(けんずいし)
(1). 中国 「隋」 : 581年~618年
581年 中国では文帝が隋という国を建てた。 文帝は、均田法、徴兵制をとりいれるとともに、律令を定め、租庸調の税制を導入、中央集権国家 体制を強化した。 文帝は九品中正法を廃し、学科試験によって官吏を登用する「科挙」(かきょ) の制度を創設した。 煬帝が高句麗遠征に失敗すると、各地で反乱が起こり、飢饉や水害が加わって、隋はわずか40 年足らずで滅んだ。
(2). 遣隋使 : 600年~614年 の間に4回派遣。
聖徳太子が摂政のころ、朝廷が日本国内での影響力を強化するために利用するとともに、先進国 である隋の文化、制度を導入するため遣隋使を派遣した。 遣隋使は次の4回派遣したが、607年には小野妹子を派遣、「日出ずる処の天子、書を日没する 処の天子に致す。 恙無きや、・・・ 」で有名な国書を持参した。 当時中国の煬帝は激怒したと 言われている。
・ 第1回 : 600年 ・ 第2回 : 607年 小野妹子 ・ 第3回 : 608年 小野妹子、高向玄理、南淵請安ら ・ 第4回 : 614年 犬上御田鍬 618年 隋滅亡
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