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7.大化の改新

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1. 蘇我氏は、稲目→馬子→蝦夷→入鹿 の四代にわたり政権を掌握していた。

2. 中臣鎌足(後に藤原鎌足)は蘇我氏の専横に憤り、天皇家に権力を取り戻すため、中大兄皇子を        見方にした。

3. 皇極天皇9年(645年)6月12日、飛鳥板蓋宮で、中大兄皇子と中臣鎌足は蘇我入鹿を暗殺した。        翌日蘇我蝦夷は自邸に火を放ち自殺し、蘇我氏の体制は崩壊した。 この蘇我氏滅亡の事件を         「巳の変乙(いっしのへん)」という。

4. 乙巳の変の直後、皇極天皇は退位、皇弟の軽皇子が孝徳天皇として即位した。                   中大兄皇子は皇太子になった。

5. 645年6月19日、孝徳天皇と中大兄皇子は群臣を集め「皇道は唯一である」旨宣するとともに、         年号を「大化元年」と定めた。

6. 645年年末には、役100年都であった「飛鳥」から「難波」に遷都、豪族の地縁を切り離そうとした。

7. 大化2年(646年)1月に「改新の詔」が出され、大化の改新がスタートした。                     改新の概要は次の通り。

   (1).公地公民制 : それまでの豪族の私地、私民をすべて天皇のものとした。

   (2).班田収授の法 : 公地を公民に貸し与える。

   (3).祖庸調 : 税や労役を公民に負担させる制度の改革。

   (4).令制国(りょうせいこく) : 行政区分を整理、それまでの国郡県制から令制国に改め豪族                             の力を排除した。

 

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